めざすのは
『気持ちのいい家』

 
『気持ちのいい家』とはいったいどんな家なのでしょう?まずは安全であることが大切です。環境に素直な建ち方で、自然の光や風を取り入れて快適でありること。そして居心地のいい場所をもち、使いやすくて個性がある。そこでの暮らしをおおらかに包み、愛着をもって年月に耐えていける家ではないかと考えています。

対話×設計=本当に欲しい家

対話×設計=本当に欲しい家

アトリエセッテンは、最初のカウンセリングを大切にしています。経験上、ほとんどの方々が家のことを考えた時に、決めなくてはいけないことの多さに戸惑っておられます。自分の考えはあるのだけれど、本当に正しいのか。自分だけの判断で決めていいのか…。そんなとき、やはり信頼できる誰かが寄り添う必要があります。できれば専門的知識があり経験も豊富なほうがいいでしょう。ですからそういった課題を解決するための価値観や感性、人柄や愛称などお互い信頼して進めることができるかとうかをもっとも大切にしています。

 
『対話』とは文字通り「向かい合って話すこと」。アトリエセッテンは一人の建築士(建築家)が最初から最後まで家づくりのお手伝いします。最初に会って話した想いを「家」に盛り込んでいくためにはそのことが大切だと考えているからです。『設計』とは「ある目的を具体化するための考え」。最初の大きな考え方からプロセスでのスケッチや図面、現場での会話に至るまで、ちゃんとコミュニケーションを『設計』していくことが大切です。そうすることで『本当に欲しい家』『愛着のある我が家』を手に入れることができると考えています。

我が家に納得と愛着を

自邸を設計をしました。そして私と私の家族をクライアントとして設計した住まいで生活することで改めて解った『3つの大切なこと』。それが住まいづくりの考え方の基礎になっています。

住まい手の想いをこめること
 家をつくるとき、不安や希望あるいは欲望といったものが錯綜します。家族一人一人にその思いがあり、実現させたいと思っています。できればその不安は取り除き、希望や欲望はできるだけ満たしてあげたいと思っています。自分にとって大切で、まだ曖昧な状況の「思い」を、家族みんなで言葉や写真あるいは身振り手振りを使って伝えてください。そして設計者としての私は、その表情やニュアンスを読み解きながら「思いのカタチ」を見つけていき、それを「家」にするための建築的アイデアとして提案して、それをもとにコミュニケーションをとりながら住まい手の想いのこもった「気持ちのいい場所」を見つけていきます。
 
家づくりの過程が見えること
 「思いのこもった気持ちのいい場所の集まり」=「自分らしい家」ということになるのですが、そこには安全性や機能性、暮らし方や素材感、周辺環境から物の寸法まで様々な要素が組み込まれています。その家を実際につくるうえで「つくる人」=「施工者」の顔が見えることがとても大切です。現場に関わる人たち、つまり職人さんたちは住まい手の顔が見えることで「よし、この人のためにがんばろう!」という気持ちになりますし、クライアントは「こんなにたくさんの人たちに関わってもらうんだ」と感謝します。現場では設計とは違い、実際に「家」が出来上がっていきます。そのプロセスに関わることでたくさんの決めごとを一緒に考えながら「納得」を重ねていくことが大切です。
 
自分の家の話ができること
 この部分が私が自邸で経験しなければ伝えれなかったことです。言いかえれば、これから家づくりをする方々も、住んでみないと実感できない話です。しかし長く住み続けていく家には、この部分が一番大切なのではないかと思っています。設計や現場のプロセスを通じたコミュニケーションをもとに、住まい手である自分自身が「こういう理由でこうなってるんだ」「ここでこうしてると気持ちいいの!」「ここがこうなってるから便利なのよね~」など少し自慢げに家の話ができ、笑顔になれる。設計者と共に考えた家だけど、自分の思いがしっかり詰まっていて人に話したくなる。そんな家になれば自分も満足だし、人もちょっとうらやむ素敵な家になるのではないでしょうか。

 自邸が完成し住み始めて間もないある日、娘が床で寝転がっています。「どうしたの?」と聞くと「きもちいい~」といって手でスリスリしています。妻は「裸足で居たくなるね~」と言います。床は杉の無垢板。私が個人的に好きで気持ちのいい材料だなとおもい採用した素材です。人は感覚の優れた生き物です。理屈では分からなくても感覚で気持ちのいい悪いが解ります。子供となればなおさらです。それを感じてくれたことが嬉しかったことを覚えています。
 ある日朝起きると娘が引戸を開け始めました。「この扉、ヒゲのおじちゃんがつくってたね、わたしがこれを開ける係になるね」といって朝の日課になりました。娘の年齢と共にその日課は無くなるのですが(笑)それでも娘は現場にいた建具屋さんや大工さんのことを覚え、感謝しているのです。これは娘にとっての職人さんに対する愛着ではないかと思います。
 時は進み、娘が友達を家に連れてくるようになりました。うちに来る娘の友達は感じたまま感想を言います「すっげー!」「旅館見たいや!」「ショールーム見たい!」「木のお家だね~」「ここに来ると家に帰りたくなくなる~」・・・子供の反応は素直で枚挙にいとまがありません。そういう子供の反応に娘も妻もニコニコとして満足そうです。ある日のこと「パパ、この家をつくってくれてありがとう~♪」と突然娘から言われました。とても幸せな気分になりました。
 
 これは手前みそなエピソードですが、きっといいコミュニケーションとプロセスを経た家にはこのような「エピソード」=「愛着」がたくさん詰まっているのではないかと思います。だからこそ次の世代まで長く住み継げる家になるのではないかと思っています。
 私は住宅リフォームの設計も多く手掛けてきました。いくらカッコよく、いくら機能的でも「愛着」がないと家は残らないことを目の当たりにしてきました。逆に「愛着」のある家は何とかして残してあげたいと思ってリフォームを選択されるようです。
 設計についての考え方を文字でお伝えするのは本当に難しいのですが、私の考え方が少しでも伝わればと思います。このような考え方で設計を進めていきますので、私の実績は「スタイル」=「見え方」が共通していません。クライアントの「思い」=「デザインエッセンス」を手がかりに設計するので、それぞれの『家のカタチ』が出来上がるのは必然だと思っています。

はじめに − 改修を通じて −
 
 事務所開設をして2年目の2009年、建築士会報『建築人』の「これからの住まいのかたち」という特集に寄稿させて頂いたものです。「改修」の設計監理にとりくむ中での気づきや想いを書かせていただきました。少し長いですがお読みいただけると幸いです。
 
 
「フローからストックへ」を「実感」する世代
 
 1966年に制定された「住宅建設計画法」に基づいて、量と最低限の質を確保することを目的に住宅が供給されてきました。そして私たちを取り巻く社会の変化に伴い、2006年「住生活基本法」が制定され、住宅の供給政策は「フローからストックへ」と大きく舵を切ることになりました。 実はこの時間的流れは、筆者の生い立ちとまさに合致していて、同時に住宅を取り巻く環境における「変化」を自らの体験をもって思い起こすことができました。つまり、大工の建てた民家から文化住宅、建売やハウスメーカー住宅、団地、マンションまで、現代の住環境のめまぐるしい変化を、身をもって体験し、その体験を通した変化を「建築に携わる者」として振り返った時、住宅を通じ生み出される新しい可能性に気付き、取り組んでいけるのではないのかと考えました。そして私と同じ世代は自らの体験をもとに「フローからストックへ」の変化を「実感」でき、「改修」に取り組むのにふさわしい世代ではないかと感じます。
 
 
「改修」がもつ問題点
 
 2003年当時、悪徳リフォーム事件が多数紙面を賑わせており、消費者にとって「改修」そのものが大きな不安要素となっていました。「何をもって安心を担保すればよいのか」という隠れた消費者心理が存在し、安心を担保するのは「大手住宅リフォーム会社」しかないという消費者が圧倒的多数を占めることになっていました。改修を誰に頼むのかという選択をする時に、「大手というブランド」と「何らかの不都合があった時の為の資本」が「安心を得るための条件」となっていました。そして大手がそれに応えるために改修の抱える問題点について「商品開発」という名の相当の努力をしていることを目の当たりにして私は大変ショックを受けました。このことが「大手」を「改修」の選択肢にしていた要因であるし、当時「大改造!!劇的ビフォー&アフター」という番組で「建築家=匠」と取り組む「改修の多様性」を取り上げブームになっていたにも関わらず「匠の改修」を大手に託そうとする消費者が多かった事に、設計事務所や工務店を含めた小規模な会社が、消費者にとって安心を担保する選択肢になりえていないという問題も明らかにしていました。しかし、そういった状況の中でも大手の手がける改修には確実に「少しの我慢」が存在していました。
 その我慢とは「質」の問題です。ここで私が言いたい「質」とは、既存との相性や適性を考えた材料や工法の選択肢が限定されているという問題、建材の規格寸法から決まるプランの問題、「既存」という膨大な情報を整理し決定していく上でのコミュニケーションのとり方とその時間の無さの問題です。
 私はこの「質」の問題に様々な観点から取り組む事によって、「ブランド」と「資本」に対抗することなく、互いに補完し合いながら、住まい手の安心と満足を確保し「ストックを活用する」為の多様性を受け入れるとともに、可能性を広げる事ができるのではないかと思います。
 
 
「改修」が開く可能性
 
 ではなぜその相当数の住まい手は、我慢をしながらも「改修」する動機を持ち、自分たちの住まいについて「改修」を選択することになったのでしょうか。 それは、都市部において問題点となる「法律」と、人間の根源的な感覚である「愛着」この二つが大きな要因であると私は考えています。
 「法律」の問題は、いわゆる「新築できない」であるとか「新築すると小さくなる」という理由が圧倒的に多く、簡単にいえば「新築できない」は、悪質な開発や無計画な分筆により接道していない土地を生んだ結果です。「新築すると小さくなる」とは現状の土地に対する道路後退線や建ペイ率の問題です。どちらも負の要素が強い動機ですが、これらの理由を軸にストック活用が進んでいることは何とも皮肉なことです。
 次に「愛着」の問題です。一つは「家そのものへの愛着」、そしてもう一つは「地域への愛着」です。
 近代以降私たちは住宅について様々なものを数値化して表わそうとしてきました。必要のないものまで数値化してきた結果、住宅の性能や品質は数字で表わすことのできるものだけが顕在化し、それ以外のものは見過ごされてきたように思います。特に新築というカテゴリーにおいてその傾向は強く、住環境を創造するという意味では同じ「改修」を計る価値観までもが、この新築を基準に行われているのが現状ではないでしょうか。
 
 
 
新しいイコールパートナーシップの構築
 
 改めて感じるのは「改修」は簡単ではないという事です。新築とは違い現実に存在する「既存」を様々な観点から読み取らなければなりません。前段でも触れたとおり、私は「改修」にこそ、より多くの建築家の参入の必要性を感じます。改修に取り組むうえでは机上の計画のみでは実現は不可能です。では、その不可能を可能にするために何が必要なのでしょうか。
 それは、既存に向き合い「考える力」を発揮する建築家と、既存に向き合い「つくる力」を発揮する施工者という新しいイコールパートナーシップではないかと考えています。誤解を恐れずに例えるならば、表層のデザイン論や机上の計画論のみで改修が進められれば、設計と施工の間には「既存」という大きな問題やギャップを前にして、「図面にあるからこうしろ」「図面にあったからこうした」的なクライアント不在の設計施工間の問題が噴出することになるのではないかと思います。それは最終的に「建築家価格」なるコストの問題へと波及し、コストを負担する消費者は「建築家」と取り組む改修を選択しなくなるのではないでしょうか。そうならないためにも、設計と施工の壁を越えたイコールパートナーを構築して、計画ごとにクライアントと共にコミュニケーションをとりながら、最終的にクライアントを含めたイコールパートナーを創りあげた上で「改修」を進めていくことが必要ではないかと考えています。
 
 
クライアント側から見るストック
 
 では「改修」を進めるクライアントはストックをどう見て、どう感じているのでしょうか。
 戸建住宅については既存建物の構造的不安から、また他人が使用したという中古感覚から、改修して移り住むという対象にまだなっておらず、流通商品としての既存戸建住宅の活用が大きく広がるのは難しいのではないかと思われます。その反面、既に所有している既存に対して「この家に住む、この地域に住む」という思いや「家族にとってのかけがえのない家」に対する思いを託して「改修」に取り組むクライアントはとても多いと感じます。マンションについては、工法として安心であるという感覚と、集団で住むという心理的なものが構造面での不安を漠然と和らげているように思います。また長期修繕という共同でメンテナンスをするマンション特有の制度が、安心を担保する形として有効に働いていて、住戸自体もスケルトン−インフィルの概念が広く受け入れられ、「自分らしさ」を取り入れやすい点もあり、移り住む対象としての流通商品として選択肢に入ってくるのではないでしょうか。
 
 
「改修」が産み出す大切なもの
 
 さらに今まで私が経験した「改修」を「建築を通じたコミュニケーション」という点から見てみたいと思います。 改修には必ずその対象となる「既存」があり、改修に着手する時点ですでにクライアントはその既存に対して思いをめぐらせています。設計の段階からクライアント自身が既存から問題点を見つけ出し、いかに自分らしく、そして気持ちよく住むことができるのかについて考えています。要望には単純なものから無理難題なものまでありますが、その中には確実に様々なかたちでの「既存に託した愛着」が存在していることを実感することができます。
 
 こういった出来事は、工業化されたプロセスの住宅の現場からは見ることができなくなった、素晴らしい出来事であり、「改修」を通じて見ることができる本来の「建築ごと」で、今後の住まいのありかたや、クライアント、私達の価値のあり方にとって、とても大切な要素であると私は感じています。
 
 
最後に − 住まいを愛でる心の芽生えへ −
 
 耐震偽装問題を発端に建築士の信用が失墜し、それを国が担保する形で、建築基準法や建築士法が改正されました。そのことについては様々な観点から議論されていますが、私が思う事は、この流れを「改修」というカテゴリーに波及させてはならないという事です。
 そうなる前に私たち専門家は一人一人が自覚をもって「改修」に取り組まなければならないと思います。
 「考える者」「つくる者」という垣根を越え、共通の目的のもとに一所懸命さや真剣さ、プロ意識の中にお互いの理解を深め、信頼関係を築きながら取り組むことによって「改修」を本来の「建築ごと」へ戻していく。そのことで初めてクライアントは建築に携わる者を尊敬し、信頼することができ、そして「改修」に安心して取り組めるのではないでしょうか。
 クライアントは「改修」を通じて生まれた住まいに対する愛着を、親子で分かち合いながら住んでいくことになるでしょう。そして子供たちの中には独自の愛着が湧き、住まいを大切にしていくでしょう。それらは子供たちに「住まいを愛でる」という素晴らしい心を芽生えさせ、住まいへの愛着を通じて得た、家を大切にするという振る舞いとして現われてくるのではないかと思います。
 そして、その芽生えた心や振る舞いが、さらなる住まいへの愛着へと繋がり、親から子へ、子から孫へと思い出と共に住み継がれていく。これらの流れすべてが、根底の部分での建築教育となって30年後50年後に、私達世代の祖父母が教えてくれたような「住まいを大切にするこころ」として残ってくれれば、こんなに素晴らしいことはないし、日本の未来は明るい!と思います。
 最後に、私の考える「これからの住まいのかたち」は、いわゆるスタイルではなく、「改修」あるいは「家づくり」を通じての行為そのものであり、それを通じて生まれる住まいへの愛着だと思います。
 そして、その住まいへの愛着は将来、多様で深みのある「住まいのかたち」を次世代の手によって私達に示してくれるのではないかと考えています。
 
 
kenchikujin No.539 2009.05 『建築人』 文責:進藤勝之
 


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