そんなものはやっぱり自分の中にある偏った感覚なんだなと。
仕事で大阪に行ってきました。
道中のJR在来線も新幹線のぞみも
ましてや地下鉄御堂筋線まで
びっくりするほどガラガラ。
中吊り広告もほとんど下がってない。
やっぱり、人が動く事は
いろんなものに一つながりになっているんだなぁと。
広島でほぼ毎日自宅あるいは事務所にいると
だんだんとその環境が基本になって
外に出ることさえ危険なことと思えてくるから怖い。
自粛という「個人的鎖国」に知らず知らずに入って
勝手に未知という不安や恐怖をつくってしまう。
そんな構造があるのかもしれないと
今回の大阪出張で思ってしまった。
家を出る時のモヤモヤした感じは
やはり人に接して、人なりの気遣いに触れて
なんてことなく晴れることとなった。
やはり「かもしれない」は不安を煽るが
基本は「自粛」ではなく「三密」を避けるということがポイントで
その「三密」を避ける振る舞いを
実践を通じて身につけていくことが
今後必要な能力なのかもしれないと
なんだか難しい事を考えながら
今日会いたいと言ってくれたクライアントとその仲間たちに感謝するのでした。