広島東洋カープV7 ありがとうございます!
そしてカープファンの皆さんおめでとうございます!
25年ぶりの優勝ということで喜びもいっそう深いです。
なんだか、雑ですが今の気持ちをつづっておきたいとおもいまして。
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その25年を振り返ってみると、自分自身いろんなものが見えてきます。
黒田投手が涙して「いろんなものがこみ上げてきて・・・」
といっていましたが、わたし自身も同じ感覚です。
まあ、47歳という年齢から、その道程を振り返ると
色々あったなぁ、と思うわけです。
ゆえに、私にとっても感動、感泣の優勝決定となったわけです。
1991年のカープの優勝時、私は大学生。
カープ優勝はひとつのお祭りという感覚でした。
若かったのですね、感動というより、ほんとお祭りです。
1993年に就職して大阪に行くのですが、
野球界は逆指名制度とFA制度が開始され
資金に乏しいカープにとってしんどい時期が始まります。
と同時に私にとっても苦しい時期なわけです。
いわゆる暗黒期、カープ低迷の時代とラップするわけですが、
住まいは大阪ですし、ネットも十分でない時代、
当然情報は入ってきにくい、チームは弱い、
仕事は忙しいし、生活はしんどいとなれば
なんとなく生活からカープがはなれていくのは必然でした。
2004年の球界再編問題で、カープがライブドアに買収される?
というニュースが水面下でざわざわしていても、
ハードな会社に転職したてで自身それどころじゃないわけで、
カープ戦も阪神ファンと共に年に1度見に行くかどうかという状況でした。
ところが2007年前田智徳選手#1の2000本安打の試合を
ネットの野球速報でテキスト観戦していたとき
その達成へのプロセスの中で私の中で静まり返っていたカープ愛が
ふつふつとよみがえり「これはちゃんと応援しないといけない!」となったわけです。
2007年といえば私がアトリエセッテンを設立した年で、
かつ黒田投手と新井選手が移籍を決めた年で、
あるいみ、ファン全体が暗~い雰囲気に包まれた状態から
私のカープ熱が再燃したわけです。
いや、ある意味新しく火がついたといったほうがいいかもしれません。
独立すれば、ある意味時間のコントロールは自由です。
翌年の2008年には近畿カープ後援会に入会し、
関西で開催されるカープ戦にはほとんど観に行くという
極端なカープシフトにはいりました(笑
試合を見れば、チームや選手がより好きになるのは必然で、
シーズン中も、シーズンオフも毎日毎日
ネットでカープネタを読み漁り、そこにあるドラマに触れてたら
気づいた時にはカープ好きから野球好きになってました。
そんなある日、黒田投手と新井選手の復帰の話が。
「あぁ、状況ではなく気持ちに正直に動くんだ・・・」
私が広島に戻ろうと思ったのも、
その行動に背中を押されたのは間違いありません。
2016年、私が広島に戻ったその年に25年ぶりの優勝なんて、
感無量というか、感謝感激、ありがとう!です。
いま広島の街は、どこを見ても、聞いてもカープカープです。
こんな時に広島の街にいることができて幸せです。
このシーン、黒田と新井の涙の抱擁には泣けました・・・
ビールかけの選手の姿には幸せを分けてもらいました。
優勝が決まり、たくさんのお祝いメールありがとうございました。
私、カープの選手じゃないのにね(汗
でも、カープファンと言い続けてよかったと改めて思いましたよ!!