「ガスVS電気」にみる「勘」の話

今日、大阪は万博記念公園内にある「生活誕生館ディリパ」で仕事をしてきました。
そこは大阪ガスが運営するショールーム的なところです。
当然の事ながら「ガス」で提供できる暮らしのあれこれが体験できるよう、展示に工夫が凝らしてあります。
プロである私も改めていろいろと勉強することが出来ました。

ところであなたは ガス派?それとも電気派?

この質問はあまりに漠然としていますね。
生活に関わるエネルギー源としては双璧をなすものです。
身近なところで言うとやはり「調理と給湯」ということになるでしょう。
ディリパでも、音声と映像でわかりやすく知ることが出来ました。

ちなみに私は今のところ「ガス派」です。

なぜかというと、人間はそもそも「火」を扱う事によって進化してきたと思うからです。
少なくても私が調理をする時「火加減」というものをコンロの「火柱」で見ています。
「この鍋の時のとろ火はこのぐらい」「フライパンで炒める時はこのぐらい」など、使う調理器具に対してこのぐらいの「火柱をみる」という「勘」を働かしているのです。
この人間に備わっている本来の「勘」を使うところにガス器具よさがあると思います。
つまり人間的なのです。
だから「ガス派」なのです。
これがIHだと一度「火加減」というものを「デジタルな記号」に置き換えて表現するので本来の「火」を取り扱う「勘」が鈍ると思うのです。
極端な話、火事に出会った時、そのめらめらと燃え上がる炎に人は怯え危険と感じるはずです。仮に火事が信号機のような「赤・黄色・青」の信号機のようなもので危険を表現するならその危険を感じる度合いは半減、いやそれ以下になるでしょう。

話は行き過ぎましたが、私はこの「勘」というのが人間にとって大切と考えています。
計算をする時「だいたいこれぐらいの答えになるだろう」と「勘」を働かせているからこそ計算機の間違いに気づくのです。
「そろそろ到着するぞ、次の角を右だ」と「勘」を働かせているからこそカーナビの間違いに気づくのです。

生活の便利さと引き換えに失っていく人間の「勘」
目で観、耳で聞き、鼻でにおい…それら五感で感じることの大切さ。
人が裸で生活をしていた時から自然に培われてきた人間が本来持つ「勘」を今こそ鍛えるべきではないでしょうか。
そのことが今社会にある様々な問題を解く「鍵」のような気がしてなりません。

今日仕事をしながらそんなことを思いました。
ところであなたは ガス派?それとも電気派?
とんでもない話になりましたね(汗)
電気派の皆さん、ごめんなさい。

生活誕生館ディリパhttp://www.osakagas.co.jp/community/Dilipa/