昨日、「木」に関連するイベントの打合せをしてきた。
世の中、科学や技術が進歩して「木」の特性やメリットなどがどんどんと明らかになってきたが、それゆえに同じ「木」なのに、どっちが良いあっちが悪いといった議論になりがちだと思っている。
木にも無垢や合板、集成材としての役割があって、大きく言えばどれも「木」なのだ。
「木」には解明されないほうが良い何かがあって、人はなんとなくそれを感じることが出来る能力があり、量の大小、質の良し悪しに関わらず、なんとなく理屈抜きで木をそばに置いておきたいと思うのかもしれない。
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日本人は木の文化の国の民なのだ。
昨日の打合せと今日の新聞記事でちょっとそんなことを思った。